5年前の
2007年3月25日9時42分に能登半島地震が発生しました。あの日も、今日と同じ日曜日。そして、前日の土曜日が全日本病院協会の代議員会・総会で東京宿泊も同じ。あの日と同じ東京のホテルで朝を迎えました。
テレビの大地震報道後、全く地元に連絡がつかず。テレビやラジオを通しての恵寿総合病院情報に心配した時間でした。
予約済みの能登空港行きは飛ばないと判断し、午後の小松空港行きを片っぱしから予約、羽田で待機することが正解でした。報道陣で満席の飛行機で帰還し、夕方までに病院に入ることができました。
多くの職員が必死の形相で病院を、地域医療を守ってくれました。そんな職員に感謝し、誇りを持ちました。
この5年間、やはり能登は疲弊しました。高齢者も住宅再建することなく、大きな町の子供たちを頼って移り住みました。交流人口も減りました。なんとか、定住人口を増やすのが、これからの復興と考えます。今のところ、安心のための医療や介護は充実しています!若者だけではなく、高齢者雇用などなんでも考えた
地域総力戦の地域戦略が求められていると思います。
私に、私たちに何ができるかを考えることは、同じく高齢化過疎化地域で被災した東日本の手本となるに違いありません。