1993年4月に、私は37歳で恵寿総合病院院長となりました。37歳で454床病院の院長とは無謀なようにも思いますが、選んだ方も選んだ方ですが、なった方もなった方のように思います。以後、最初は外部からは随分蔑まれましたが、内部の多くの医師、職員が一緒に付いてきてくれました。そのような意味では、とても幸せ者だったと思います。院長就任当時、いろいろ教えてくださった大学関連病院長会議の院長たち、地域中核病院研究会の院長たちもほとんどが入れ替わり、いつしか古株の一人になってしまいました。また、21日には、(財)日本医療機能評価機構による病院機能評価・更新審査を終えましたが。院長として5回(3回の本審査、1回のリハビリテーション付加機能審査、1回の電子カルテ審査基準作成にあったっての検討委員会の模擬審査)の機能評価を受けたのは他に誰もいないことでしょう。
15年を節目に、院長を退任する決断を下しました。
今後は、特定・特別医療法人財団董仙会(とうせんかい)
理事長として、
CEOに専念したく思います。
後任の院長には、昨年の8月まで金沢医科大学学長の任についておられ、元同大放射線科教授の
山本 達 先生です。各診療科にかかわる放射線医の経験を活かして、今後当院の柱となる、がん診療における体制の増強をはじめ、放射線画像処理を含めた情報管理、それを利用した地域連携の分野でご活躍を期待したいと思います。
このブログの名前も4月には変えなければいけません。「病院長の・・・」でなくなるわけですから、、、
題名どうしましょうかね。しばらく、コメントをいただけるようにしておきます。何か妙案があればご提案くださいね。